いったりきたり

六人組を応援しています

いち元井ノ原ファンが思うアイドルと結婚について

※アイドルの結婚について、そして井ノ原さんの結婚について、感じたことや意見を多々書いています。「おめでとう!」という内容のブログではないですし、今回の件にも触れています。そして長いです。合わないと思った方は回れ右でお願いします。どうしても書かずにいられなくなった、あくまで一個人の意見にすぎない文章です。

    

 

 

ちょうど10年前、好きで好きで好きでファンをしていたアイドルが結婚した。
V6の井ノ原快彦さんである。
好きになったのは中学生のころ、周りになんと言われようと井ノ原快彦はそもそも私の「タイプ」だった。顔も、スタイルも、横顔から鎖骨にかけてのラインも、声も、歌も。
好みだな、と思ってから深みに嵌るまではあっという間だった。細い目をさらに細めてふざけて喋って大口を開けて笑って、けれども実は気が短くて体も丈夫でなくて真面目で繊細なところもあって、そうして周りの人に愛されているところも、調子に乗りやすくて時にから回って配慮に欠ける言動をしたりするところだって、それも含めて彼だと認識していて、そういう彼のファンだった。

 

自分と付き合ってほしいとも結婚してほしいとも思ったことはない。そういうふうに、自分と同じ世界に置いてみたことはなかったし、実際、現実世界で彼ではない人に恋をしたりもした。
私は手の届かないところできらきらと輝いているアイドルとして、井ノ原さんが好きだった。グループの中でお喋りお笑い担当の位置にいようと「アイドルっぽくない」と言われて本人もそれをネタにする節があろうと、私は「アイドル井ノ原快彦」が好きだった。

 

井ノ原さんのファンになって8年が経った2007年V6コンサート初日、MCで、井ノ原さんが「結婚します」と言った。
私はその場にいた。
正直、その日のコンサートのその後のことはほとんど覚えていない。頭の中が真っ白だった。でも、石でも沈んでいるみたいに腹の底が重たくて、ペンライトを持っていない左手を、掌に爪の跡が残るぐらい握りしめていたことは覚えている。自分がいた座席の位置も。代々木、下手側二階席。
その時、周りの席にいた人はみんな祝福しているように思えた。ダブルアンコールで出てきた後、彼は「(結婚発表の)記者会見にいってきます」と言って、捌けていった。コンサートが終わった後、代々木第一体育館から出て、「大丈夫?」と気遣ってくれる友達と別れ、敷地の中で母に電話して、「いのっちが、結婚やって」と言い、それから泣いた。

ショックだった。

 

井ノ原さんの結婚関連の出来事は、それだけでは終わらなかった。
ツーショット結婚会見、翌日以降のMCでも結婚の話題、ジャニーズの公式サイトには特別にページが作られてメンバーや他のグループのメンバーからの祝福コメント、学校へ行こうでも特別に取り上げられた。本人からファンクラブ会員あてにはがきも来た。「僕にとっての幸せは、みんなに祝福していただくこと」「僕はなんにも変わっていない」等と書かれていた。
学校へ行こうでは、あのコンサートにいたファンは井ノ原さんの結婚をみな祝福しているような編集やインタビューがなされていた。井ノ原さんが、奥さんをメンバー5人に会わせて「ぼくの奥さんです」と紹介する場面もあった。
何を見ているんだろう、と思った。なぜ、自分が好きなアイドルが奥さんを同じアイドルグループのほかのメンバーに紹介する場面を私は見ているんだろう。
それだけではなく、「ファンは皆祝福している」という編集のされ方に打ちのめされた。そもそも、井ノ原さんの言動には、はがきの文言にもあるとおり、「ファンの子たち、みんな祝ってね」という意思があった。ネットを含む世論の大半は、「ショック受けてるファンは自分が結婚できるとでも思ってたの?」「好きな人の結婚なんだから祝福しないのはおかしい」「祝えないファンはファンじゃない」といったものだった。
ああ、私は井ノ原さんにとっては要らないファンなんだな、と思った。
祝福できるファンが正しいファンである。彼の幸せを祈っていないわけじゃない、それでもショックを受けている、そういうファンには、井ノ原快彦のファンである資格はない。そう彼に言われているように思えた。そして、それを世論に「そのとおりだよ」と言われたような。
今思えば、井ノ原さんもファンに受け入れられるかどうか怖かったのだろうと思う。けれども私は、私のような人間に井ノ原ファンとしての居場所はないように思ってしまった。苦しかった。苦しくて苦しくてしょうがなかった。
それでも好きだったから、ずいぶん葛藤した。葛藤したけれど、そういう思いについに心が耐え切れなくなって、私は井ノ原さんのファンをやめることに決めた。V6というグループは大好きだから、グループのファンは続けよう。でも、井ノ原さん個人のファンでいるのは終わりにしよう。

 

それから10年が経った。私は今でもV6のファンである。
そしてこのたび、メンバーの半分が既婚者になった。

 

「アイドルと結婚」という議題は、上に書いたような経緯もあって、私が今までで一番考えた議題なのではないかと思う。そして10年経って、ようやく文章にできる程度には咀嚼できた事柄なのだろうと思う。笑えるけど、冗談抜きで。
――自分と付き合ってほしいとも結婚してほしいとも思わない、なのにショックを受けるファンがいるのはなぜか?
私の場合、「手の届かないところで輝くみんなのアイドル」に魅入って、好きになってしまったからだ。そのアイドルは誰のものでもない。誰のものでもないからこそ、見せられる夢がある。まさに「偶像」だ。
アイドルはアイドルとしての仕事をしていない時の自らは見せずに振る舞い、ファンも自分の現実の生活は忘れてそこに乗る。ファンはアイドルにファンには見せない面や顔があることや、仕事を離れた現実では特定の誰かに恋もするだろうし恋人もいるかもしれないことだって分かりきった上で、そんなことはアイドルと対峙している間勘定に、前提に入れない。アイドルがそういう「偶像」を見せてくれているからだ。
つまり共通の約束事の上に成立する、その部分について言ってしまえばプロフェッショナルなエンターテイメントたる「ごっこ」である。アイドルが表舞台を降りたところで誰とどんなことをやっていようとそこでは関係なく、「アイドル〇〇」でしかない。アイドルは「アイドル〇〇」を作り上げ、ファンはその「アイドル〇〇」に夢を見る。

 

アイドルにどんな夢を見るかはファンによる。私が見る夢はあなたとは同じではない、という人も多くいるだろう。けれども事務所や番組、雑誌等もそういう層が一定数いることを把握していて(それを商売にしているのだから当然だけど)、だからアイドルは不特定の「きみ」を相手にした恋の歌を沢山歌い、デートをテーマにしたインタビューや写真がアイドル雑誌に頻繁に載り、テレビでもそういう企画をやったりする(私は個人的には元々そういう企画を望むタイプではないけれど)。本人たちだって、そういうものを意識した言動や演出をコンサート等の仕事の際にすることはままある。最近だと、V6についてはスマホの恋愛ゲームアプリなどというものもあった。

 

結婚とは、ただ一人の特定の相手とその先の人生を二人でともに歩くという、当該時点での意思の顕れだ。自分のその先の人生をその人だけに渡す合意をして法的に手続きを踏んだという、その事実によって、「誰のものでもないアイドルという偶像」は崩れてしまう。
それは上記のようなアイドル業に対するファンの意識に、十分に変化を及ぼしうるものだ。たとえば上に挙げたような企画を見ていても、「でもあの人はあの人と結婚してるしなあ」と思ってしまったりする。実際、V6の恋愛ゲームアプリが配信されると最初に聞いたときの元井ノ原ファンとしての私の感想は「既婚者がいるのに?」だった。そしてそれ故に、私はあのアプリをやっていない。

 

もちろんアイドルだって人間である。一人の人間として、この人と結婚という形で人生をともに歩むのが幸せだと思うのならば、その幸せを掴んでしかるべきだと思うし、幸せになってほしいと思う。
けれどもその一方で、アイドルは「アイドル」であり、つまり「偶像」である。不可分な一人が生身の人間であり偶像でもある、その事実は、時にジレンマを生む。「結婚」というプライベートの、生身の部分で行う事実は、一定数のファンにとっての「偶像」の在り方に、不可避に影響を及ぼしてしまう(私が井ノ原さんのはがきの「自分は何も変わっていない」という部分に違和感を覚えたのは、だからなのだと思う)。
だから、結婚を、または結婚報告を契機にファンをやめるファンは必ずいる。それ以前は見られた夢を、もうその人には見られない、そう思ったファンはファンをやめる。そしてメンバー個人のファンが減ることは、グループ全体のファンの減少に繋がる。

そのことを事務所側も分かっているからこそ、V6より後にデビューした後輩グループにはまだ既婚者が一人もいないのだろう。

 

私が井ノ原さんのファンを辞める踏ん切りをつけたのは、最後の最後に、「もうアイドル井ノ原快彦個人に夢を見ることができない」という思いが心に浮かんだ瞬間だった。
あくまで私個人についていえば、結婚という事実のみであればファンを辞めることはなかったかもしれない。たとえば結婚しました、という最初の報告が一枚の報道機関へのファックスだけで、その後の一連の言動がなければ。結婚したという、人生のこれからを誰かに渡したというプライベートの、でも確実に私にとっての「偶像」に影響を及ぼす事実を、ファンに見える場所にいる間は微塵も出さずに「アイドル」でいてくれて、これからもそうであり続けてくれるんだろうと思えていれば。

これは結婚報告の仕方、そしてその後の活動の仕方の話だ。もちろん、あるファンがどこまでを受け入れられたか、というだけの話でしかなく、どこまでを受け入れられるかというその度合いだって、ファンそれぞれだ。アイドルに見る夢がそれぞれ違うように、もしくは其れと相関して。けれども、だからこそ、その按配は、受け入れられないと思ってしまうファンがどれぐらい出るか、離れるファンがどれぐらい出るかということを左右する。

逆に言えば、そこはアイドル本人のさじ加減でコントロールしうる領域である。自分が見せてきた「偶像」に対する影響は避けられないとしても、どれぐらい影響を、変化を与えるかは、結婚報告やその後の活動の仕方である程度はコントロールできるのだ。つまり、結婚で離れるファンが出ることは避けられないが、どれぐらいのファンが離れるかは、アイドル本人の言動の選択次第である部分も大きい。アイドル本人のアイドル観が如実に出る場面とも言える。

 

何度も言うけれど、アイドルだって人間であり、幸せが目の前にあるのならそれを掴んでほしいと私は思っている。掴んだなら、その人にとって、それはとてもおめでたいことだと思う。生涯の伴侶となっても良いという人に巡り合えて、相手にもそう思われて結婚するというのは、とても得難いことだ。

けれど同時に、結婚という選択をし、そしてその報告をするにあたっては、「アイドル」であり、その後も「アイドル」で居続けるつもりであるのなら、覚悟も必要なのではないかとも思うのだ。自分の結婚でショックを受けるファンも一定数必ずいること、自分のファンをやめる人もいること、結婚報告やその後の言動の如何で、ファンの感じ方や受け取り方はかなり違ってくること、その結果は自分にも、そして自分が所属するグループにも影響を及ぼしうること(実際、井ノ原さんの結婚報告の後コンサートで見かける井ノ原さんのうちわは激減したし、私は今でもあの時のことは完全に乗り越えられてはいない)。それはきっと、とてもしんどくて不自由なことだとは思うけれど。

それは、「生身の人間」と「偶像」の間のジレンマを擦り合わせる方法でもある。

 

井ノ原さんが結婚したとき、その人のファンでなければ分からないものは沢山あると思ったから、長野さんの、そして岡田さんの結婚について、ここで何かを言うつもりはない。けれども、ショックを受けている人には、祝えないならファンじゃない、なんてことは絶対にない、と言いたい。ショックを受けるファンもいて当然の、実に特殊な成り立ちをしているのがアイドルだ。祝える人もファンなら、今はショックを受けていて、心の底から祝うことは難しい人だってファンである。同じ人が好きで、ただ、それぞれのスタンスが違っただけ。ゆっくり、ゆっくり、自分のペースで、納得いくまで感じて、考えて、結論を出す必要があるなら出せば良いと、井ノ原さんの結婚から10年が経った今、改めて思う。

10年はあっという間だった。井ノ原ファンを辞めてからも彼がいるグループを応援し続けるということにはやっぱり難しいこともたくさんあって、でも私はその10年の間にも、井ノ原さんも含めたV6というグループから、沢山のものを受け取ったと思う。この10年も、V6のファンとして、楽しかった。ファンにはいろんな形があるけれど、これもきっと、その形の一つなんだろう。